『狭衣物語』 悪意的(あるいは現代的)あらすじ

 現代の視線で読むと、信じられない過去の価値観ってありますね。
 よく『源氏物語』を現代人感覚で読むと犯罪的で許しがたい、といいますが、私は『狭衣物語』のほうがすごいと思います。現代人価値観で読むと、主人公(男性)に擁護できる部分はほぼ皆無。当時は理想の男性だったとか。

 一世源氏にして関白の父を持つ、最上級青年貴族の主人公は、兄妹のように育った従妹(皇太子妃に内定済)に恋しており、縁談や他の恋愛には乗り気になれない。と言いつつ適当にはこなす。
 偶然出会った没落皇族の娘と、お互い正体を知らないまま恋愛関係になり、これまでにない好意を持つ。が……。「身分の低い女相手に素性を明かして噂になったら恥ずかしい」からと名乗らない。そのせいで経済的に苦しい乳母たちに拉致され、強制結婚させられそうなった娘は入水自殺に追い詰められる。(「ちゃんと面倒を見る」と言うついでに身分を明かしていれば、周囲だってこんなことをする必要はなかったのに)

 気に入った彼女に失踪されてしまった主人公、皇女との縁談を断るつもり満々でいたのに、つい彼女を垣間見た勢いで押し入り……。皇女は「結婚する予定」だった男性に強姦され、妊娠してしまう。しかも主人公は、その後も彼女と結婚しない態度を押し通し、責任を取らない。
「不明の相手による皇女の妊娠」(皇女は誰にも相手の正体を教えなかったので)を、皇女の母親は隠し通して、自分の出産した(帝の)子ということにする。皇女は主人公のあまりの不誠実さに絶望して、出家してしまう。

 主人公、実は失踪した彼女が入水間際で生き残り、自分の娘を産んでから死んでいたことを知る。その娘は、さっきのとはまた別の皇女(だいぶ年上独身)に養女として引き取られていた。娘に会いたくて、その皇女の邸に忍び込んだのが世間の噂になり、周囲はむりやり縁談を進め、断りきれず結婚。
 お互い好意も結婚の意思もなかった上、皇女は主人公の目的を悟ってしまい、結婚生活はすぐに破綻。それまで何度も「自分の目的は出家すること」と出家未遂を繰り返していた主人公は、その決意を更に固くして、強姦してしまった皇女のほうに別れの挨拶に行くが、相手にされない。(当然ですよね……)

 その出家も神様のお告げやら、家族のがんばりで阻止された主人公。従妹にそっくりの、家柄も申し分ない皇族の娘をもう一人妻にもらう。現代人にはさっぱり良さがわからないが、主人公をすばらしい人だと周囲も神様も持ち上げ、ついには即位して帝になる羽目に。
 結局、最終的には外見も性格も気に入った女性が妻にできて、娘も認知できたし、認知できない息子も皇太子。幸福かと思いきや、うまくいかなかった女性たちを思い出しては、主人公は憂鬱なのでした。(そんなに心残る相手なら、ちゃんと結婚しておけばいいだけじゃ?)終わり……。


 この彼は、当時の人が書いた「かっこいい青年貴族」、読者が支持し読みたがった物語を凝縮した典型例であることが、他の物語や、物語について当時書かれた論評によってわかります。この物語、当時は素直に支持される最高人気作だったのです。
 主人公は、当時重視された分野の才能はある、ってことになっています。現代的創作(特にコミックとか)の悪しき文法「努力して成功することが美しい」文化に毒されるはるか以前の物語です。
 現代では、人生における「因果(原因と結果)」は、その人が一生涯でした行動の中で規定されますが、そもそも元の(日本)仏教的には「因果(前世の行動の反映)」で、文化的にはそう理解された時間のほうが長いわけで……。恵まれた立場は単に「前世でいいことをしたに違いない」で済んでしまいます……。