私は悪霊に憑かれた

 私は悪霊に憑かれた。
 悪霊憑きとなった者は、家名を失い、旅に出ねばならぬ定めである。私はこの風習を愚かな迷信と思っていた。しかし、自ら憑かれてその意味を理解した。この悪霊はうるさい。
『昔、ケイノスの港から船に乗ると小さな島に通りかかって、目的地と間違えて無知な旅人が降りたもんだよ』
『昔クナークと呼んだ大陸には竜の住む山があって、そのいちばん偉い竜の横には、今は幽霊の竜がいるらしいんだけど、知ってる?』
 平凡な生活をしながらこんな話ばかり毎日聞かされたら、早晩気が狂うだろう。私は船に乗って、最初の港で降りた。静かな海岸から進むと、妖精の住む土地だった。

 私はしばらく妖精の雑用を引き受けて暮らした。
「悪霊よ、この魚はどこで釣ればいいのだ?」
『どこだろなあ。海?』
「魚がいないぞ」
『うーん。この間も、魚だけ遠くだったんだよなあ。そのうち見つかるよ、きっと』
 はるか神々の領界の最新事情を知っていると主張する割に、その知識は役に立たない。

 ある時、遠くへの使いを引き受けて丘を二つほど越えた私は、巨大な木々の間に浮かぶ都市を見た。
『わあー。ケレティンだ。えっ、この上だけでテレポーターが何ヶ所もあるの? 過保護じゃない? そうそう。ここは今はこうだけど、昔はウッドエルフの街でね』
「今親切な妖精がそう教えてくれたな」

 この街にいれば、当分生活に困らない仕事がありそうだ。
「代行墓参りか。ここから降りるのが近道だな」
『待っ!!!』
「何だ?」
『落ちると死ぬよ』
「死なないだろう」
 私は飛び降りた。
『死ぬって!……ゆっくり落ちてる』
「我々以外にもこの特徴を持つ種族は多いぞ? 知らないのか?」

『嘘だ……。エルダイトにフリーフォール……。ありえないよ!』
「何を混乱しているのか知らないが、これは我々の言葉で《落ちるも雅》というのだ」
『だって……生まれた直後暗くて落下……。ブラックパウで落とし穴に落ちて……。氷の床で滑って落ちて……』
 悪霊がこうも悲しむのは初めてだった。

『とにかく! 五百年前のエルダイトはね! 落ちたら死んだんだよ!』
 そうか。我々は正しい進化を辿ったということか。ついでに、この悪霊がまったく無知なことを、私は確信した。憑かれるなら、もっと尊敬できる性格の、かなうなら役に立つ知識を身につけた悪霊がよかったのだが。