悪霊と幽霊

 私は流浪の悪霊憑きだ。もとより私の種族は長らく人類居住地の端に間借りの身だが、この街ではそんな身元さえもないよそ者だ。

 樹上都市の周辺にはオークの襲撃を逃れてきた難民たちが身を寄せ合っていた。その一人は、その辺で集めた材料を持ち寄ると、旅に出て以来の美味な料理を振舞ってくれた。
 オークは都市の間近まで出没しており、雇われ仕事も傭兵めいたものが多かった。気がつけば私は陰謀と種族間紛争の渦中にいて、事態が一段落した時には、妖精にも若干の好意的な知人を得ていた。知り合った人々に多少の義理を感じ、引き続きオークとの戦闘に向かおうとした私を、悪霊は止めた。
『しばらくさ、別の場所に行ってみない?』
「なぜだ。ここは暮らし良いところだぞ。戦いの行く末も見届けたい」
『うん。でも君の単独任務はさ、もうちょっと腕を上げたほうが成功率が上がると思うんだ。今のまんまあの連中に突撃しても、死ぬよ』
「そうだろうか」
『それにちょっと気分転換もいいよ』

 悪霊の勧めるアントニカへ向け、古代魔法の移動ポータルを潜った。空が青い。平原に陽光がそそぎ、整備された灌漑水路の水が湖畔の水車に落ちる。
『ね。いいところだろ』
「のどかな景色だな」
 ケレティンでは、頭上は常に巨樹と霧に覆われ、空は見えなかったのだと、その時気づいた。

 人類の古くからの居住地域は、犬人との紛争やお決りの問題はあっても、おおむね後にしてきた土地より平和なようだった。夜は空に星が輝き、街に近い灯台はこんな時代にも灯火を絶やさない。
 私はしばらく、見通しのよい場所で犬人や追いはぎ相手に弓の腕を磨き、狩りをして過ごした。
 困ったのは、この広い平原には商人が少ないことだ。
「妖精の土地は便利だったな。どこにでも銀行があって」
『あれは、ありすぎたと思うよ。君の旅行装備が貧弱なんだなあ』
「そうか?」
『そうだよ。ほら、採集袋からイチゴがあふれたじゃん』
「仕方ない」
 私はそれしか持たずに旅に出たのだから。

 翌日、悪霊が行けとうるさいので銀行へ出向くと、立派な旅行鞄が幾つも、私宛に届いていた。
『これで足りるよね』
 多すぎる。
「これをどうやって調達した?」
『うん。ちょっと知り合いに』
「詐欺を働いたのか?」
『まさか。それどころか、完全に人々の善意に基づいてやってきたんだよ。ユウジョウ!』
 私はまだ胡散臭い気分だった。
『気になるならさ、君の将来狩る毛皮がカタになってると思ってよ』
 喉から手が出るほど、欲しい装備だった。これまでの何倍も物資を持ち歩ける。
「では、もらっておくか」
 悪霊はさほど得意がりもしなかった。私はいぶかしんだ。これはいったい、どんな詐欺の一端だろうかと。


 私がポータルを抜けてはじめて見たアントニカの村、水車小屋が印象的な平和な土地は、ウィンドストーカー高地といって、村もその名前で呼ばれていた。高台に、その由来と思しい人、ホリー・ウィンドストーカーの墓があった。
『おおう……。じゃあ彼女も死んだんだな』
 悪霊が、感慨深げに言った。

「知っているのか?」
『まあね。五百年前、ケイノス近辺にいた冒険者で、彼女を知らない奴はいなかった。ドルイドが街の衛兵虐殺で知れ渡るより前に、彼女より人々の恨みを集めたドルイドはいなかっただろうなあ』
「何をしたのだ。その人は?」
『どんな犬人よりたくさん、若者を殺したよ』

 私はたじろいだ。後世に名が残る人が、残虐であったり、結果的に多くの敵を殺していたりする例は、あるには違いないが。
「何か理由があったのだろう?」
 悪霊が笑った。不吉な響きがした。
『そうだなあ。物事には必ずそれぞれの立場があるから、説明しないのは公平じゃないね』

『彼女は献身的な、女神チュナレと嵐神カラナの眷属を保護することに熱心なドルイドだった。狼や熊を傷つける者に容赦しなかった。一方当時、ケイノスの周辺にはおおぜいの住む家もお金もない若者たちがいた。君のような人たちがね。ケイノスの治安を守る当局は、彼らを犬人との戦いに利用しようとした』

『犬人の暗い洞窟へ降りて行く度胸と装備のない連中は、まず外をうろついている犬人やアンデッドを始末して細々と暮らしていた。彼らはおおぜいだったから、犬人を狩り出すのも奪い合いのような有様だったよ。でなければ、熊猟に手を出すか。当時も、いい毛皮は高値がついたからね』

『といっても、彼女の前で獣に手を出す者はいなかった。彼女が、獣と戦う者を見れば即座に殺すことは、広く知れ渡っていたからね』
「神々が実に座ました時代の崇敬とは、我々の想像を超えるな」
『いやいや。あの頃の誰もがそんなだったと思わないでほしいなあ。そこまでしたのは彼女くらいだ』

『個人的によく知っていたドルイドは、狩りの肉で料理をするのが好きだったよ。聖域の中では、敬意のある人たちは獣を傷つけなかったりしたものだけど、ふつうその程度だね。彼女はきっと超強硬派に属してて、その中でも筋金入りのカツドーカだったんだろうなあ』

『彼女のすごいところはね、自分から獣に手をかけた者だけじゃなく、獣と戦っている者なら誰でも、つまり自衛している者まで容赦しなかったことさ。戦いで傷ついて弱った人が、休もうと座りこむ。狼はそういう弱った相手を見つけると当然襲いかかる。必死に逃げようとすると、ホリーに出あうんだ』

『ホリーは事情を斟酌しない。しかも、当時ケイノスでくすぶってるような連中の敵う相手じゃなかった。彼女の声を聞いた瞬間に、そいつは死ぬんだ。これで説明になったかな?』
 私はなんとも、答えようがなかった。私は悪霊憑きだ。私が殺されても、殺害者を裁く法はなく、復讐する親族もいない。

 数日後、村からは少し離れた丘陵地帯で、幽霊に遭遇した。その辺りにはアンデッドはほとんどおらず、珍しいことだった。
 白いおぼろげな影は「狼を……熊を……」と呟きながら、私に襲いかかってきた。私は必死に両刀で振り払った。幽霊はあっけなく消えて、腕輪が地面に落ちた。ウィンドストーカーの名が刻まれていた。

「彼女だ……。死に切れないでいたのか」
『そうみたいだね。……何だかなあ』
 悪霊の声は沈んでいて、私は意外に思った。
「嬉しくはないのか? こんな形でも復讐を遂げたとは思わないのか?」
『うん。そう思う人はいるだろうね。まるでそれを狙って、誰かが彼女をここに幽霊にして置いたみたいだとは思わないかい?』
「それは穿ちすぎた見方というものではないか?」
『そうかもしれないけどね』
 悪霊はその後、しばらく不機嫌で、口をきかなかった。私には悪霊の感情が理解できない。